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GM vs  豊田  It was 50 years ago today
昭和2年、日本の道路という道路が、すべてアメリカ車によって占拠されていた。

”(米国に比べ日本の自動車技術は)だいたい五十年ほど遅れてるねぇ・・・・(でも)自動車の技術の進歩といったところで、要は一つ一つの小さな積み重ねに過ぎないんだ。人類の文明の長さに比べると、五十年は1日にも値しないのだ”
(豊田喜一郎:自動車生産の試作すら始めていない時期の言葉 )

昭和六年の数字では、外車の(供給量は)年間23、206台に対して国産車は437台(50分の1!)

”私の考えている国産車は・・・GMやフォードの隙間をこそこそ縫って行く変則車を考えるのではなくて、私は外車と真っ正面から対決する純国産の量産車をつくるのだ。そうして日本の民族産業を確立し、GMやフォードを日本から駆逐するのだ。そのためには、私は佐吉以来の豊田の会社を全部潰しても悔いない。”

喜一郎にはその実現のためには、まるで自滅を願っているのかと疑われるほどの腹の据わりがあった。

豊田系列の会社は、当時の名古屋の慣習からいうと革新的といえるほどの進歩的なものとされていた。・・・佐吉は自分も一代での成功者であるだけに、「人は家柄ではない。才能のあるものは一族よりも重く用いるべきだ」と信じており、それを実践したのであった。

”私は若い頃は父を軽蔑していた。織機なんて素朴な機械は佐吉でなくても誰でもやれる。例えばどの大学の機械科の教室でもが本気で取り組んだら、基礎的な学問のない佐吉みたいに苦心惨憺しなくとも、あれぐらいの物は簡単にできる。・・・そう思ってわしは世間の評価とは逆に、若い頃は父をごく低く見ていた。・・・・・・・・・・しかし、私は・・・・・・このごろ、私自身の誤りがわかってきた。学者たちは、やれば出来たかも知れない。しかし、やらなかった。それを佐吉はやった。しかも生涯を賭けて自分の基礎的な知識の乏しさと、貧乏で研究費のないことに泣きながら、やった。 ・・・・やれるかやれぬかでなくて、誰がやるかなんだよ。”


このような志の高さがあれど、一流の自動車を最初から作れるはずがありません。

販売担当の山口が現実を踏まえてセールスマンに厳しく言ったことは、(今のトヨタ・日本車では想像もつきませんが)
「ええか、車を売り込むのに、うちの車は他の車よりいいなどとは、決して言うてはならん。世界のどこの自動車に比べても、現在のうちの車は一番劣悪なんだ。
 ただ、国産品だから買ってくれ、使ってくれと頼むんだ。そうでなければ、自動車はいつまでもアメリカの独占物になる。日本の自動車工業は育たず、であるから日本の民族工業全体が、二流三流のまま取り残される。 皆さんが使ってさえくれれば、トヨタは必ず改善して、やがて世界一の車にしてみせる。であるから日本という国のために、日本人という民族のために、トヨタの車を使ってくれと頼むんだぞ。」

そして・・最初の百台のほどは、殆どが同じようにひどい欠陥車であった。(フレームが折れる・・など今起こったらそれだけで社会から排除されますね)・・・・何しろ”必ず故障が起きます”と保証付きみたいな欠陥車で・・・

ある時は・・・エンコしてどうしても動かないという電話で行ってみると、外見上はどこも故障していなかった。
「どこも痛んで無いじゃありませんか」
サービス部員が言うと

「馬鹿っ、動かぬ証拠があるじゃないか!」



さらに日米戦争が終わり、トラックを供給していたことで戦犯として裁かれるリスクに怯えるなかで、喜一郎は重役幹部たちに次のように述べて、会社再建の基本方針を示した。
「日本はこれから、アメリカと同じ自由経済組織に変わる。世界と平等の立場で競争しなければならず、保護された事業、独占事業などは許されない。それは改革されねばならぬ。

 日本の自動車工業は国家に保護されて育って来たもので、いわば温室育ちである。一人前とは言えない。我が社にしても世界的に見れば一流とは言えない。まして戦争にも敗れたし、我が社は自動車会社として世界的には第三流程度と見なければならない。

 このような会社が、これから自由競争の荒波の中を、難破することなく航行することは甚だ困難な仕事である。大きな痛手を負うたこの会社を、どんな具合にして統合経済から自由経済組織に持って行くか、これが我が社を負うたこの会社を、どんな具合して統制経済から自由経済組織に持って行くか、これが我が社の死生の分かれ目だと思う。みんなで、本当に大きな覚悟のいる仕事だ。」

当時、権威の座にふんぞり返って法皇と呼ばれていた日銀総裁の一万田などは、「自動車工業など余計なものだ。アメリカから輸入すればいい」と極めて冷淡だった。

(一方)日銀名古屋支店長の高梨は、「自動車工業の確立は将来大切なことだ。また、いまトヨタ自動車に潰れられては中京経済全体が崩壊する」と帝国銀行。東海銀行はじめ24行に融資の斡旋をしてくれた。

(”夜明けへの挑戦  豊田喜一郎” 木本正次)
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50年前、誰も今日を予想できなかった・・・


豊田喜一郎―夜明けへの挑戦 (人物文庫)
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コメント
Re: 大事なのは
> 志、情熱(努力)、運、才能でしょうか<= 信念と粘り・・・のようです

墓場のダンサーさま  ありがとうございます
2009/06/06(Sat) 20:49 | URL | Charlie 2011 | 【編集
大事なのは
志、情熱(努力)、運、才能でしょうか
2009/06/05(Fri) 01:23 | URL | 墓場のダンサー | 【編集
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