スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
夜回り先生  水谷修
最近こんなニュースを見た

”フランスの中高校に金属探知機設置へ:相次ぐ刃物による教師襲撃受け     刃物だけでなく銃も・・・”

1999年4月20日 米コロンバイン高校で12名の生徒と1名の教師が射殺された。

2007年4月16日 米バージニア工科大学で28名の学生と5名の教員が射殺された

================
「アメリカで起こったことは、5年後に日本で起こる」
(”踊る大捜査線 ザ・ムービー” ネット上で殺人が誘発さた事件に対する青島のセリフ)


果たして、5年は過ぎた

銃規制が厳格な日本では、中学・高校・大学に金属探知機を導入したということは行われていない。

しかし・・・・

核家族化が進み、地域社会とのつながりが希薄となり、
一方技術的にはいつもつながるようになった便利な時代は、自分の思考の立ち位置を身近なところで確認する機会を減少させ、孤独な価値観で世界を見る人間を増加させる。

”親友”だからこそ、悩みを打ち明けられない倒錯した関係が
例外ではなくなってしまったケータイ社会の子供たち
(ケータイ社会の大人たち: いつの時代も、子供社会は大人社会の鏡に過ぎない。)

希薄化する人間関係の中で、信頼関係も短期的な契約関係となる中で、人は、子供たちは、自分の存在を肯定してくれる理解者を必要としている。

「おれ、窃盗やってた」



いいんだよ


「わたし、援助交際やってた」



いいんだよ


「おれ、イジメやってた」


いいんだよ


「わたし、シンナーやってた」


いいんだよ

「おれ、暴走族やってた」


いいんだよ

「おれ、カツアゲやってた」


いいんだよ

「わたし、家に引きこもってた」


いいんだよ


昨日までのことは、みんないいんだよ

「おれ、死にたい」「わたし、死にたい」

でも、それだけはダメだよ。

まずは今日から、水谷と一緒に考えよう。


私が21年間の教員生活を振り返り、ただひとつだけ胸を張れることがある。
それは、一回も生徒を叱ったり、殴ったことがないということだ。

私は、絶対に生徒を叱ることができない。
なぜなら子供たちはみんな”花の種”だと考えているからだ。

どんな花の種でも、植えた人間がきちんと育て、時期を待てば、必ず花を咲かせる。これは子供も全く同じで、親や学校の先生、地域の大人たちやマスコミを含む社会すべてが、慈しみ、愛し、丁寧に育てれば、子供は必ず美しい花を咲かせてくれる。

もし花を咲かせることなく、しぼんだり枯れたりする子供がいれば、それはまぎれもなく大人のせいであり、子供はその被害者だ。

夜回り先生夜回り先生
(2004/02)
水谷 修

商品詳細を見る



=======

社会の歪みは、子供にしわ寄せとなり押し寄せる。
その押し寄せた歪みを正面から受け止めようとしている水谷修先生

放送回数の決まったドラマではないから、現実社会には、予定調和なエンディングなんてない。一度校正させたと思っても翌日には、貧しさやいままでの人間関係を断ち切れず、元に戻ってしまう子供たちも多い。

自分は・・・自分の子供に対してだけでも、水谷先生のような覚悟をもって向かい合っているのだろうか・・・・否(反省・・・)

スポンサーサイト
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。