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ヤバいDVDⅢ  エチオピア・ケニア・ルワンダ
地に足のついた、そして人間味溢れるすばらしい観光ガイドDVD

バイク旅行の良さは、必然的なボラティリティの高さ。

人生楽ありゃ苦もあるさ(水戸黄門より(笑))

苦が深ければ、それを乗り越えた後の楽は、感動を伴うほどの記憶に残る喜びになります。

バイクって快適な状況って少ないんです。
夏は無茶暑い、冬は無茶寒い(信号で止まっているバイク乗りがエンジンに手を触れているのは、手を温めているためです。また、秋冬の高速道路でトラックの後ろにピッタリくっついてバイクが走っていることがありますが、決して嫌がらせではなく単に寒さを少しでも避けるための行動なんです←でも危ないですからやめた方がいいですよ)

ということで、10話で構成される スコットランドからケープタウンまでのバイク旅行ドキュメンタリー“ Long Way Down”では、その苦の部分も含めた疑似体験ができます。

通常の観光ガイドでは、絶対共有することができない“感動”があります。

その6・7・8話は、エチオピア・ケニア・ウガンダ・ルワンダでの行程を追っています

特に印象に残ったのはルワンダ。

映画「ホテル・ルワンダ」で知った1994年の大虐殺(人口の10% 3か月の間に100万人が虐殺されました)
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ドン・チードルソフィー・オコネドー

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「ルワンダは第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地であったが、植民地下で少数派であるツチを君主、及び首長等の支配層とする間接支配体制が築かれ多数派のフツとごく少数のトゥワはより差別を受けるようになった、1962年の独立の前にツチとベルギー当局との関係が悪化し、ベルギー当局は国連からの関係改善の勧告を無視し、社会革命としてフツによる体制転覆を支援した。」(wikipediaより)

(植民地として支配しやすいように)階級を作ったために起こった悲劇その13年後。 

ルワンダは、その悲しみを乗り越えて再生された様子が見て取れました。

大虐殺後に、アメリカ留学から戻ってきたコーヒーショップオーナーの夫婦は次のように語っていました

「暗い過去に未来を支配させない」


また、5000人ものフツ族が殺された教会は、記念館として残っておりそこを管理する女性にCharlieが
「あなたはどちらの族ですか」と聞くと

「昔はフツ族でした。 今はルワンダ人です」


大虐殺後 2000年から大統領となった5代目:ポール・カガメ氏は、3歳から25年間 難民キャンプで過ごした経験を持ちルワンダ再生に大きく貢献しているようです。
(招待された結婚式で、大統領宅に招待され、急いでスーツを買いこみ翌日 大統領のすばらしい景観に恵まれた家に行った様子が写されています)

ところで・・・野生動物を直接見ることは、非常に感動するようです(映像を通して野生動物を見ることはあるので、ここでの感動は残念ながらその場にいないとわからないでしょうね)

ゴリラ・カバ・ダチョウ・シマウマ  
 特にゴリラには感動していました(蛇足: カバはライオンより人を殺しているそうです   さらに蛇足  豚やヤシの実は、サメより人を殺しているそうです )

残すところ・・・2話   見るのが待ち遠しい
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以下 ルワンダ関連
【London Callingアーカイブ】「ルワンダ中央銀行総裁日記」

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書 290)


ルワンダは 『ホテルルワンダ』を見て初めて知った国。
94年 人口の10% 100万人も虐殺されたルワンダ。

そのルワンダに40年も前に中央銀行総裁として派遣され、ぼろぼろのルワンダ経済をルワンダ人の健全に働く動機付けの仕組みを作り、ルワンダ人ための発展に結びつけた日本人がいたんですね。

以下『ルワンダ中央銀行総裁日記』服部正也著 (残念ながら廃刊)
「日本が60年代の経済的繁栄のさなか、国際通貨基金の懇請により、アフリカ中央の一小国ルワンダの中央銀行総裁として着任した著者を待つものは、財政と国際収支の恒常的赤字であった。それから丸6年、貧乏国ルワンダはいまや着実に発展への道を歩み始めている。これは物理的条件の不利に屈せず、様々の驚きや発見の連続のなかで、あくまで民情に即した経済改革を一つ一つ遂行していった日本人総裁の爽やかな記録である」


「とにかく、引き受けた仕事なのだからやらなければならない」という使命感。
(ルワンダ大統領が、安易な通貨切り下げをルワンダ人の発展に役立たないという視点を持っていたこと、また他の発展途上国がデフォルトを一つの選択と考えがちなのに対して 借金をなにが何でも返すことを前提に政策を考えていることに対して)

「経済がうまくいかないとすぐに通貨価値操作を考えるという、今日の世界にかなり広まっている便宜主義的な傾向に対比して、一種のさわやかさを感じたのである」

「最近の傾向は人間的という美名で甘えと甘やかしが横行し、人間生活に必要な規律と義務が軽視され、そのために社会が乱れている。」

「日本では官界も、金融界も事業界も、お互いに日本経済の発展に強力する協力者という根本思想がある。今日の話でルワンダでは官民対立という印象を受けたが日本人である自分にとって非常に奇異に感じる。民間企業の繁栄無くしては、国家の繁栄はないというふうに私は育てられてきたし、ルワンダでもその考え方でやるつもりだ。」

「私も当初は、外人社会の通説である、ルワンダ人に商業能力はないとの説を信じていた。・・・・・・・・ (その後、しばらくした時点から)ルワンダ人も商業的能力はあるのではないかという眼でルワンダ人と接するようになった。この姿勢をとると今まで気づかなかった彼らの能力がわかるようになった。これは彼らがすばらしく優秀だといっているのではない。ただルワンダにいる外人商人に比べひどく劣っていないと言うだけであるが、ルワンダで商売をやるにはそれで十分である。」
( あくまで限定された期間の勤務にもかかわらず 現状維持という安易な選択をすることなく、最も面倒な、しかし解決しなければ前に進めないことはわかっている根っこに自ら接点を求め政策に反映させます)


============================

まっすぐな日本人が多かった時代がありました。志高き官僚が、日本をすばらしい国にした時代がありました。


人の本質が変わったのか、環境が変えたのか

日本が発展途上国だった40年前、経済成長という共通の価値観を持ち得た時代流される情報の大枠は 経済成長を良し とする比較的単純な時代
(良し悪しではありません発想が豊かな人は苦しんだ時代だったのかもしれませんから今ほど、個人が自由に世界に ほとんどコストなくして自ら情報を発信できる時代はありませんよね)

高成長が止まり、飢えるリスクを感じることがなくなり、価値観が多様化し、情報は氾濫し、 そんな時代は 「自分で考え」なければ、「自分で選択し」なければ、できなければ振り回されてしまう。
 
主体的に生きれば という条件付きのもとで 人は幸せになれる時代

日本人は お上に従うこと 主体的にならないこと を教育されてきたような・・・・

時代変化を主体的に選択する・・・・・・任せてはいけない

PS でも 杉原千畝さんや服部さんは あの時代 マイノリティだった。外務省では、組織に従わなかった杉原千畝さんを現時点でどのように評価しているのでしょう

杉原千畝物語―命のビザをありがとう杉原千畝物語―命のビザをありがとう
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杉原 幸子杉原 弘樹

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PS2 服部さんが6年間で築いたルワンダ経済発展の基礎・・・・それが続かなかったこと・・・・ それ以上に列強国によって作られた民族間紛争により100万人も死んでしまったこと・・・・・ 服部さんの胸中が思い計られます
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