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「悲しみは病気の一種である」   アランの幸福論 
悩み苦しんで不機嫌になるのは、苦悩をくどくど考えようとするから

悲しみは病気の一種にすぎないから、理屈や説明をあれこれ考えずに、病気と思ってがまんしよう。

心配や恐れは、ともに病気であり、しかも他の病気と結びついて、その病気を悪化させることがわかるはずだ

不安がる態度は、当然ながら病気を悪化させる。だから病気のまねごとではなく、健康のまねごとをすればよい

健康な証拠とは、健康にふさわしい態度にほかならない。

不機嫌も一種の病気。・・・すぐ周囲の人やものごとのせいにするのではなく、まずは自分自身に注意を向けることが一番

いつも悲しみは口達者で、態度が大きい。そのために、私たちは公平な見方がなかなかできなくなっている。

感情に走っておびえると、もしそれが広がれば、どんなに些細な理由であろうと、かならず戦争になってしまう。

人を害するのはいつも想像上のもの。不安とは無意味な動揺。それは考えれば考えるほど大きくなる。人は死について考え出した途端に、死ぬのが怖くなるもの。単なる可能性を考えているうちに訳がわからなくなり、すべてが怖くなる。

意志で自分の感情をどうこうすることはできないが、態度は直ちにコントロールできる。

(だから)心配ごとがあるときは、あれこれ考えるのはやめよう。自分の推理は自らの首をしめることにしかならない。そうではなく、腕を上げたりして体操してみるといい。あなたはその効果に驚くはずだ。

病気に名前がついて、分類されるようになった時代から、患者が自分で病気の兆候を探すようになり、そして、あっけなく自分は病気であると判定してしまうのである。

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3大幸福論(ラッセル・ヒルティ)の一つ

古典として現在でも高く評価される作品は数多くあります。

読んで分かることは・・・・


良いものは良い(←私が言うとスネークマンショー?(笑))

人間は学んでいないのか、それとも本質は変わらない・・ということか

マキャベリの”君主論”を読んだときも強く感じたこと

次々と新しい本は発行されていますが、それらのほとんどは、古典を(たいてい)部分的に切り刻み、自分の経験や現在の事象というスパイスを乗せているだけ。 (そのスパイスの質と加減によっては、それはそれで名作となっている作品もありますが・・・)


いやはや、くだらない本は何億冊とあるのでしょうが、何万冊はあるであろう良書の極々わずかしか読めていない

歴史に、過去に学んでいないんだなぁ(私・・・が主語です)



アランの幸福論アランの幸福論
(2007/12/15)
アラン

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