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五体不満足
子供の読書課題となったので、”手伝え”との指示(←子供の指示ではありません(笑)) により久しぶりに読み返しました


せっかくだから、赤ペンチェックをした部分を抜き出しました

学ぶことは多いです

==============

それまでボクが最も重要視していたのは、お金や地位・名誉といったものだったと思う。
・・しかしそのような価値観に気づかされたとき、

はっきりと”そんな人生はイヤだ”と思えた。


他人や社会のために、どれだけのことができるのか。周りの人に、どれだけ優しく生きられるのか。
どれだけ多くの人と分かり会えるのか。

どれも難しいことではあるけれど、これが実践できれば、
ボクの人生は幸せだったと胸を張れる気がする。

ただ、どれを目指すにしても、絶対に譲れない大前提があった。それは”自分を最も大切にしながら”というものだ


これまで自分が障害者だと意識して生きてきたことはなかった。
ある程度のことであれば、身の回りのことも自分でできてしまう。

しかし自分の使命ということを考えたとき、自分が障害者であるということを、せっかく与えてもらった障害を活かし切れていない。

言ってみれば”宝のもちぐされ”なのだ。


”失敗”と書いて”経験”と読む。つまり失敗をしないということは、経験を積まないということ。
失敗を恐れずに、どんどん動いていこう。


アメリカ旅行で感じたこと


日本で車椅子に乗った人間が人混みのなかに飛び込んでいけば、
程度の差こそあれ、人からジロジロと見られるものだ。

しかし、アメリカでは誰もボクを見ていない。目立ちたがり屋のボクとしては、
いささか不満ではあるけれども、これがあるべき姿なのだと感じた。

身体障害=身体的特徴に過ぎない、として街が、地域が障害者を自然に受け入れていることを、
身を持って実感した。


母の強さ


友人と待ち合わせをしていた時、となりにヤクザがいた。しばらく二人きりの状態だったが、
そのうちその人から話しかけられ、

別れ際には名刺を渡され”何か困ったことがあれば、いつでも電話してこい”といわれた。

その話を母にすると、”あなた、それはあたりまえよ”
”だって、ああいう人たちは、ツメるといっても小指一本程度でしょう。

あんたなんか、全身ツメちゃってるんだもん。それは、敬意を表されるわよ”



中1の時、”友達と青森に旅行に行きたいのだけれど・・・・”

当然、危ないなどの理由で反対されるという予想は、大はずれだった。

”あら、そうなの?何日から何日まで家を空けるのか、早めに教えてちょうだい”

”それがわかったら、その間に、私たち夫婦も旅行にいけるじゃない” 
そして両親は、ボクが青森に行っている間に香港旅行を楽しんだ。


障害者の親が過保護になる要因としては”かわいい”というより”かわいそう”という気持ちの方が
強いと思う。

親が子供のことを、”かわいそう”と思ってしまえば、子供は”自分は、やっぱりかわいそうな子供なんだ。

障害者は、やっぱりかわいそうなんだ”と後ろ向きな人生を歩みかねない。


障害は個性である。太っている人、やせている人、背の高い人、低い人。
色の黒い人、白い人、その中に手や足が不自由な人がいるにすぎない。


多様性を受け入れる地合が日本には少ない。
学校で起こっている”いじめ”の問題も”同じでない”ことを理由にすることが多い気がする。

”みんなが違う”のは当たり前なのに・・。


========

こんなふうに扱ってきた点で、乙武さんの母は強し。

こんな母だから身障者という意識をネガティブにとらえずに乙武さんは生きてこれたんだなぁと感じた。


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乙武 洋匡

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